2011年08月15日
終戦記念日
終戦記念日ですね。
正午にサイレンが鳴り、お父ちゃんとジャミラーズと
家族全員で黙とうをしました。
この間の武道館での試合の日、靖国神社へ行きました。
まさか、武道館から靖国神社まで、歩いて行ける
距離だとは知りませんでした。
見上げると、大きな鳥居。
近づいても、本当に巨大な鳥居でした。
人の大きさが、見えますか?
行けども行けども、お社は見えず、、、
途中、門を通ったのですが、扉には大きな菊のご紋。
本当に長い参道を通って、やっと本殿に着きました。
ピンクの集団が、私たちです、、、
最近弓道を真剣に教えていただいていますが、
始まりと終わりは神棚に礼をします。
そのとおり、揖のあと、2礼2拍手1礼、そして揖で、
頭を上げたのです。
ふと、隣を見ると、ママ友がまだ何かお願い事を
していました。
ああ、そうだった。
私も昔は、神様にお願いするためにお祈りしたんだった。
だけど、何だかそんな気は全く起きず、頭は無の状態で
ただただ『礼』をしただけでした。
社務所で綺麗なお守りを買って、ずっと気になっていた
場所を探しました。
遊就館です。
2人のママ友は、子どもの試合の方が気になるということで、
武道館へ戻りました。
もう一人のママ友は、『見たい!』と言うので、
2人して入場料800円払って、中に入りました。
『全てご覧いただくのには、1時間半かかります。』
と、書かれていましたが、試合までにそんな時間が
なかったので、さーっと駆け足で見ました。
一番初めは、とても演出された空間に、天皇陛下から
賜った元帥の剣が、美しく飾られていました。
そこからずっと、古代から近代までの武具や歴史などが
紹介されていました。
延々と、戦いの歴史。

入り口の零戦は、ピカピカに修復されて、
今にも若者が飛び下りてきそうでした。
内部のホールには、巨大な人間魚雷『回天』が
展示されていました。
もっと小さいものを想像していたので、こんなに
大きかったのかと、そして、当然だけど、
窓も何もないミサイルの中に、どんな想いで
乗り込んでいただろうかと、胸が痛くなりました。
小さなボートの特攻艇もありましたが、
(こんなボートで、どれだけのダメージを与える
ことができただろうか、、、)
と、悲しく思いました。
私が一番見たかったのは、特攻の若者たちのフロア
だったのですが、とうとう時間切れで見ることなく
立ち去ることになりました。
とにかく、駆け足で見ても、大東亜戦争のコーナーに
たどり着けないほど膨大な資料や展示品だったのです。
あっという間に感じましたが、それでも1時間以上
いたと、後で時計を見てわかりました。
無数の遺影が並んでいる壁は、まだまだスペースが
空けてあり、この後申請された英霊が足されていくん
だろうなと思いました。
展示品の想いがあまりにヘビーで、途中理解不能の
苦しさがのしかかってきました。
もしも、霊感が強い方が入ったら、たぶん長くは
居られないでしょう。
そんな風に感じる館内でした。
私と一緒に入ったママ友が話してくれました。
お父さんのお父さん、つまり彼女のおじいさんも
戦死されているそうです。
生きて終戦を迎えたのにもかかわらず、その後
マリアナ諸島沖で亡くなったそうです。
戦後、軍艦を日本に向けて帰国していたとき、
『その艦を日本には持ち帰らず、海に沈めよ!』
という命令が下ったそうです。
乗組員を避難させた後、彼女のお祖父さんは
責任のあった方なのでしょう、自分は残り、
艦と共に海に沈んだそうです。
同郷の出征した人たちは皆帰ってきたのに、
彼女のお祖父さんだけは戻らなかった。
後日、家族はその艦がいつ沈没したのか国に問い合わせ、
その日を命日と決めたそうです。
そして、それは自分の息子、つまり彼女のお父さんが
生まれた3日後だったそうです。
そんな辛い話が、いっぱいいっぱいあったでしょう。
靖国神社には賛否両論いろいろありますね。
この戦争を、『大東亜戦争』と表記することに
こだわるのも、靖国神社という姿ですね。
私が、祭壇に何一つお願をしなかったのも、
たぶん祀られている神々が、戦死した何十万もの
人々だということを、無意識に思い出したから
かもしれません。
だからこそ、彼らが命を賭けて守ったこの国や
子孫を大切にしていかなくてはいけないなって
強く思いながら神社を後にしました。
Posted by たんたん at 14:48
│大事なこと
この記事へのコメント
たんたんさん
靖国のお守りありがとうございました
私も 貴女が思った
「だからこそ、彼らが命を賭けて守ったこの国や
子孫を大切にしていかなくてはいけないなって
強く思いながら神社を後にしました。」
この思い 同感です 2度と戦争は起こしてはいけません
靖国神社には行った事は有りませんが ここに祭られている人たちの
犠牲の元に 今 私達は生活しているのですから
靖国のお守りありがとうございました
私も 貴女が思った
「だからこそ、彼らが命を賭けて守ったこの国や
子孫を大切にしていかなくてはいけないなって
強く思いながら神社を後にしました。」
この思い 同感です 2度と戦争は起こしてはいけません
靖国神社には行った事は有りませんが ここに祭られている人たちの
犠牲の元に 今 私達は生活しているのですから
Posted by やまめ at 2011年08月15日 18:19
田子の祖母の弟は兵隊に呼ばれないほど体が弱かったのに、田子の海で舟釣りをしていたら、特攻隊と間違われたようで
米軍機に撃たれてなくなりました。
下田も防空壕多いですし、伊豆にはまだ戦争を感じさせるものがまだあるんですよね。
忘れちゃいけないですね。
米軍機に撃たれてなくなりました。
下田も防空壕多いですし、伊豆にはまだ戦争を感じさせるものがまだあるんですよね。
忘れちゃいけないですね。
Posted by ソフィアママ at 2011年08月16日 16:20
***やまめさん***
やまめさんも、小さかったから記憶がないのかも
しれませんが、きっと周りには戦争で傷ついたり、
亡くなったりした方があったでしょうね。
何も悪いことをしていない人が、ただ殺される戦争は
二度と起こしてはいけないですよね。
ジャミラーズを戦地に送らなくてはならなくなる世界には
絶対にしたくありません。
*ソフィアママさん***
ああ、それも切なくて悲しいです、、、
戦争に行った人も、残された人も、亡くなる危険が
あるのは変わりないんですよね。
五木田さんのおばあちゃんのたった一人の弟さんも
パプアニューギニア沖で亡くなったそうです。
とっても大切にしていた肉親だったそうです。
子どもを持つと、特に平和について考えますね。
やまめさんも、小さかったから記憶がないのかも
しれませんが、きっと周りには戦争で傷ついたり、
亡くなったりした方があったでしょうね。
何も悪いことをしていない人が、ただ殺される戦争は
二度と起こしてはいけないですよね。
ジャミラーズを戦地に送らなくてはならなくなる世界には
絶対にしたくありません。
*ソフィアママさん***
ああ、それも切なくて悲しいです、、、
戦争に行った人も、残された人も、亡くなる危険が
あるのは変わりないんですよね。
五木田さんのおばあちゃんのたった一人の弟さんも
パプアニューギニア沖で亡くなったそうです。
とっても大切にしていた肉親だったそうです。
子どもを持つと、特に平和について考えますね。
Posted by たんたん at 2011年08月18日 17:44