2012年09月01日
自分の身体も災害に備える

9月初めの日は、避難訓練です。
私たちの地区は、年々人口が減り、訓練に参加できる人はもっと少なくて、、、
消火器はまだしも、消火栓の訓練は、やっても現実的に使えないと思います。
最低5人が必要、、、
なんて、家の周りでは無理だもんな〜
体に悪い箇所のあるお年寄りばかりだから。
しかも、うちの組の消火ホース、10年くらい使ってないはず。
多分穴だらけで、使い物にはならない。
ちなみにこのホース、我が家までは届かない、、、(≧ω≦)
それぞれが、自分で自分を守れるように日々準備して、意識していないとならないなあと感じました。
帰り道は、毎年恒例の『ゴミ拾い』
次男は、避難訓練中に
『ねぇ、帰りにゴミ拾いする?』
って聞いてきました。
意識が根付いていて嬉しかったです。
ゴミ拾いを始めた4年前には、本当にひどい状態だった道ですが、最近はかなり減りました。
それでも、小さい買い物袋にいっぱいになりました。
そこへうちの傍のおばさんが話しかけてきました。
『さっき貰った非常食、食べないから貰って!
うちのお父さん、歯がなくなってきたから、こんな硬いのは噛めないから、、、』
ご飯だから、硬くないですよ。って言っても、いらないと言って帰っていきました。
彼女のご主人は、筋無力症を発症し、段々と寝たきりになりつつあるそうです。
この間歯医者さんに、大学教授のコラムが貼ってありました。
今回の震災時に配給されたのは、ハンバーグや唐揚げなどのお弁当だったけど、歯の悪いお年寄りは食べられずに、みるみる弱って亡くなることもあったそうです。
だから、生きていくのには、歯が大事だと書かれていました。
自分の体自体も、災害への備えが必要だなあと考えさせられました。
2012年08月30日
夏の終わりのメッセージ

ゼンマイ式時計を拾いました。
これで3つ目。
戦前のものも現役で使っているけど、今日の時計が一番若そう。(^-^)
勝手に拾ってくるなんて、条例違反だ!
なんて、野暮なこと言わないでくださいまし。
修理して大切に使うから。(^-^)
ガラスが無いけど、私ホラ、ガラス道23年ですからチョロいもんです〜(^-^)
ボーンボーンって、おじいちゃんちにあったのと、同じ音色です。
丹後の夏休み、思い出すなあ。(≧ω≦)
小さい頃の夏休みは、毎日本当に楽しくて、集まった従兄弟たちと、真っ黒になって遊んだっけ。
けど、大人になるにつれて、丹後の夏は悲しいことが多くなった。
おばあちゃんが亡くなった日も夏だった。
おじさんと従妹が、交通事故で亡くなった日はお盆。
『恐ろしいことが起こった、、、』
って、ささやくように言いながら、丸い背中を見せて部屋に入ったおじいちゃんの向こうで、ボーンボーンって鳴ったっけ。
この時計も、いろんなこと見てきたのかな、、、
文字盤に『Lucky』と書かれてるのが嬉しかった、夏の終わりのメッセージです。
2012年07月29日
お墓参り

毎年欠かさない、私たちの恩人のお墓参り。
http://faro.i-ra.jp/e43612.html
命日は昨日だったのですが、イベントがあって忙しかったので行けませんでした。
改めて墓石を見て、まだ55歳だったんだなあ、、、と読みました。
お父ちゃんは今50歳だから、『あと5年?』だなんて思ったら本当に若すぎる死だったと悔やまれます。
この間、突然思いがけない人が訪ねてきました。
クリスタルパークさんの立ち上げの段階から携わっていた方で、私たちとも仲良くしてくださっていましたが、11年前に西伊豆を離れてそれからは年賀状だけのお付き合いになっていました。
今回、結婚式に招待されて西伊豆へ戻って来たそうで、わざわざ顔を見せてくれたのです。
少し近況を話しただけで、
『さあ!今から、課長の墓参りにいかないと!
ここ(我が家)と、課長のお墓だけは、顔出さないと!と思ってさ!(^-^)』
それを聞いて、あぁ、同じように課長のことを忘れないでいてくれているんだと、ぐっときました。
あわただしく車を走りだしたのに、ふと止めて窓を開け、
『いつもブログ、読んでるよ!(^-^)』
と、一言残して、車は行ってしまいました。
本当に短い時間でしたが、素敵な再会でした。(^-^)
2012年03月07日
デリケートな問題

こんな記事を書いたら、また誰かの逆鱗に触れて、糾弾されるのかもしれないけど、、、
今日起こった、悩ましい出来事を記録しておこうと思って書いています。
答えは私の中でも揺れているから、、、
***********************
用事で訪ねた先で、
『被災瓦礫受け入れに賛成か反対か?』
と突然聞かれて驚いた。
『西伊豆町は受け入れに動いているんだよ。』
と、彼女は言う。
知らなかった。
今日の議会でその問題が取り上げられるから、彼女のご主人は聞きに行っているのだそう。
この間の島田市と、自治会の決断は、素晴らしいことだなと個人的に思っていた。
あの、凄惨で恐ろしい瓦礫が早く片付いた方が良いと思っていたから。
そんな私の言葉で、彼女の顔色が変わった。
『チェルノブイリでさえ、瓦礫は全く動かさなかったし、阪神大震災の瓦礫も今回の震災と同じ位の量だったのに、地元で処理ができた。』
と、例を挙げる。
でも、今もあそこに住んでいる人達の痛みも、分かち合わないと、、、
と言うと、
『それは、“恐ろしい日本人的な考え方”で、間違っている。』
と、熱を込めて話す。
『日本中に放射線物質をばらまくのではなく、被災地に処理場を作って雇用を生むのが、彼らへの支援になるのではないか?
彼らが、夏に泳げるよう受け入れてやれるように、汚染が少ないと言われている西伊豆町という観光地は、綺麗なままであるべきだ。
それが、西伊豆町がするべき支援だと思う。
そんな場所に、持ち込むのは筋違いで断固反対だ。』
と、私に説く。
もっともだと思う。
処理場ができて、雇用が生まれるなら、それもいい。
急がないのであれば、、、
『じゃあ、瓦礫受け入れ賛成なんだね?
それが原因で、あなたの子どもや孫が病気になっても構わないの?
怖くないの?』
あんまり怖くないんだ。
だって、もっと恐ろしい毒物や放射線物質をすでに口に入れているかもしれないし、、、
と本音をこぼしたら、彼女の顔が落胆の色に変わった。
同じように小さな子どもを持つ母親として、すぐに共感してくれるだろうと思っていたのだろう。
『怖くない?
それはなぜ?』
と聞かれたけど、なぜだか怖くないのが本音なのだ。
私は死ぬことを怖れていない。
怖れていても、どんなに良い人であっても、ある日突然死は理不尽に訪れると知っている。
もちろん、愛する家族が亡くなることは恐ろしい。
だけど、地球全体を見れば、今世界中で苦しんでいる人も、身内と同じ『家族』なのだと、今回の震災は教えてくれたのだと思う。
あの時、
今テレビの中で泣いている、あの知らない誰かの為に何ができるだろうか?
と、みんなが思ったはず。
『国や行政や東電が、責任をとるべきところを、なぜ他の者が負担を強いられなければならないのか!』
がっかりさせたせいで、尚さら強くなる彼女の語気と反比例するように、私の耳は遠くなり、彼女の口が動いているのをぼんやり眺めていた。
反対、賛成で町が二分して、私もひどく傷つけられた“アスベスト問題”のことを、思いだしていた。
あぁ、、、
未来の西伊豆を誰か見せてくれたらいいのに、、、
2011年11月26日
大好きなiMac 逝ってしまいました(T_T)


11年前の私に、『ネット』の世界を教えてくれた、
iMac DV インディゴ
ボタンを押しても、うんともすんとも言いません、、、(T_T)
突然、さよならも言わずに旅立っていました、、、(T_T)
内蔵電池のせいかも、、、
と、カバーを外し、代用できるといわれるカメラ用の電池を入れてみたのですが、やっぱりダメみたい、、、
ウィンドウズのノートを買ってからは、デザインや、経理に使っていました。
修理するお金も、買い替えるお金も無いし、中に入ったままのデータ、どうしたらいいの、、、
2000年、初めての出産を終え、自分へのご褒美として買いました。
買って一週間後に、いきなり壊れ、
(失敗だったかな、、、(T_T))
と思ったけど、形や色に一目惚れしたのでした。
かなり扱いにてこずって、機嫌を損ねると動かなくなり、独学の私はそのたび苦労しましたが、お陰で鍛えられたと思います。
インターネットに初めて繋がった時。
自力でホームページを完成させた時の感動は、忘れられません、、、
今年の誕生日には、
『HappyBirthday』
って言ってくれないんだね?
あの、微笑む“Happy Mark”がもう見られないと思うと、とっても寂しい。