2008年02月21日
父について
去年の今日、誰にもさよならうを言わずに父は逝ってしまった。
大好きだった祖母が亡くなって、ちょうど一ヶ月だった。
いわゆる「突然死」
まるで交通事故にあったようだ。
突然切れてしまったように人生が終わるなんて。
いつも一緒にいる親子だったから、祖母の死が父の心臓を砕いてしまったのだろう。満州から、はしかにかかった乳飲み子だった父を、捨てないで命がけで連れ帰ってくれた祖母を、本当に愛していた。
「人に気を使う人だったね。」と母がポツリと言った。
最後まで気を使ったらしい。
トラック運転手だった父は、その日の荷を降ろして、トラックの扉を閉めたところで倒れたそうだ。
運転中だったら、とんでもない事故になっていたはずだ。
途中で車を降りたとしても、荷物が不着で迷惑をかけただろう。
棺の中の父は微笑んでいた。
瞬間苦しかったと思うが、すぐに天国への扉が開かれただろう。
顔の横には、前年の夏に私がプレゼントした帽子が添えてあった。父にプレゼントなんて、そのときが初めてだったと思う。
幼稚園のころ、強情な私はしかられても謝らなかった。
それで母が烈火のごとく怒るので、私はいつも社宅のドアを出て、そこにある椅子に腰掛けて、父を待った。
暗くなるまで待っていると、父が向こうから歩いてきて「何だ、またしかられたのか。パパが一緒に謝ってやるからご飯食べよう。」と、大きな手のひらで私の頭をなでてくれた。
中学、高校と思春期のころはいろいろあって、父とはほとんど口をきかなかったはずだ。
高校のときは美大に行きたくて、禁止だったアルバイトをしながら月謝を払って絵画教室に通ったが、ことごとく落ちた。
どうにかして行きたい!切羽詰って新聞奨学生に応募した。
新聞販売所で住み込みだから、履歴書を書かなくてはいけない。
「東京で働きながら予備校に通うの。履歴書の顔写真を撮りに行きたいんだけど」と、つっけんどんに父に言うと、反対することなく連れて行ってくれた。
写真を撮って、父の車に戻ると、「お金は出せないけど、お前がしたいことをさせてあげたいと、パパは思っている」とポツリといった。
家を飛び出たけど、結局怖気づいて帰ってきてしまった。
父と母は何も言わなかったけど、とても喜んでいた。
1年働いて学費を貯めて、川崎のガラス研究所に入学することにした。いつも事後報告だ。
4トントラックで引越しを手伝ってくれた。道中何を話しただろうか、覚えていないのが悔やまれる。
時々仕事のついでにやってきては、食料品を置いていってくれた。
「お前、好きだったろう?」とジャムパンが入っていたときは「今は嫌い!」と怒ってしまったのが、懐かしい。
石川県の能登に就職するときも4トン車。
やっぱり時々来てくれて、あるとき浜名湖で採ってきたといって、「アサリを皆さんに」と、ふたを開けたたら、とんでもない異臭を放っていて(も!!ーばか!

実家の近所に町営のガラス工房が建つという記事を送ってくれたのも父だ。
でも同時に西伊豆へ引っ越すことを決めていたので、そっけない返事をしてしまった。
近くで展覧会をするときは、必ず駆けつけ、何がしか買っていった。
サンダルに、スーパーの袋を提げて。
(あんな格好で、しかも親が子供の作品を買うなんて恥ずかしい!早く帰って!)と思っていると、「荷物があるんだ」と、トイレットペーパーから麦茶から缶詰からわんさと車から降ろして、私に持って帰れという。それがまた恥ずかしかった。
父が亡くなって初めて私は洗濯洗剤を自分で買った。
葬儀は思いがけずたくさんの参列者で、正直驚いた。
日大で所属していたマンドリンクラブの仲間も駆けつけてくれた。
2009年の合同コンサート、参加するって言ってくれてたのにと、話してくれた。
ただのしがないトラック運転手だったと思っていた人は、「日大マンドリンクラブOB」と書かれた花輪を見て違う父の姿を知ったろう。
実家には、近く開かれるOB会に着ていくんだと、父が新調したスーツがかかっていた。もう誰も袖を通さないだろうに。
葬儀の席で、ある方が私に近づいて「あなたがね、独立して工房を持つって決まったときね、お父さん本当に喜んでいたんだよ。本当だよ。」と言われ、涙が止まらなかった。
法学部で弁護士を目指していたはずなのに、どうしてと気になっていた。
両親ができちゃった結婚だったことも、最近気がついた。
もしかして、私のせいで諦めたのかと心配になって母に尋ねると、「そうじゃないよ、おばあちゃんがあそこに勤めていて、お前も就職しなさいっていったからだよ。」と、教えてくれた。
マンドリンクラブの仲間からはメールでいろいろな話を聞いた。
父が大学2年までは三島に住んでいたことも知った。全然知らなかった。
マンドリンクラブのサイトでは、父の若いときのスナップや、演奏会の風景が見られて、とても楽しかった。
いろいろなことをもっと聞いておけばよかった。
これからもっと教えてほしいことがいっぱいあったのに。
亡くなる前に会ったとき、「パパ、定年じゃないの?もう61歳になるんでしょ?」と尋ねた。
「パパはね、定年がないっていうから、今のところに就職したんだよ。」と、ヤル気満々で言った。
下の弟と2世帯住宅を建てる計画だった。
かわいい孫たちと一緒の生活。間取りもあれこれ考えていたそうだ。
形見のマンドリンは私がもらった。
財産らしいものはなにもないので、唯一これが形のある思い出か。
弦も切れて、駒もはずれている。こんな状態ではコンサートには参加できなかっただろう。
きっと直して、いつか弾けるようになりたいと思っている。
あっという間の1年だった。
悲しみはちっとも薄れないが、弟たちに会ってその笑顔を見るとき、父の笑顔がそこにあるのが見えて、とてもうれしい。
Posted by たんたん at 23:09
│大事なこと
この記事へのコメント
素敵な話しをありがとうございます。
私も つい昨日父の事を思い、ブログに書かせていただきました。
亡くなってしまった 命は ここにはないけれど
生きている 私達の胸の中には 愛された記憶が確かに残っていて。。
この先を幸せに生きていくことが きっと親孝行で
父よりも 早く逝かなかった事も 親孝行だと感じています。
人として 命あるものとして今生に生かされている役割は
命を 次ぎに繋いでいくこと そういう意味では
お父さまも その役割を しっかりと 子供達に残されたのですね。
時は 一番の癒しの力を持っていますから きっと きっと 大丈夫。。
マンドリン~弾いてくださいね。。
私も つい昨日父の事を思い、ブログに書かせていただきました。
亡くなってしまった 命は ここにはないけれど
生きている 私達の胸の中には 愛された記憶が確かに残っていて。。
この先を幸せに生きていくことが きっと親孝行で
父よりも 早く逝かなかった事も 親孝行だと感じています。
人として 命あるものとして今生に生かされている役割は
命を 次ぎに繋いでいくこと そういう意味では
お父さまも その役割を しっかりと 子供達に残されたのですね。
時は 一番の癒しの力を持っていますから きっと きっと 大丈夫。。
マンドリン~弾いてくださいね。。
Posted by あび at 2008年02月21日 23:31
****あびさん****
そうです。
父が亡くなってから私が求めているのは、確かに愛されていたということだけだと思います。
昔の写真を引っ張り出してきたり、、、
でも、思い出せば思い出すほど父の愛情を感じ、それに引き換え私は父に何かしてあげられただろうかと、後悔ばかりがつのります。
あびさんのおっしゃるように、幸せに生きていくことしか、父に恩返しできないなあと最近思います。
マンドリン、早く直したいんですがお金がなくて、、、(泣)
パパごめん。
そうです。
父が亡くなってから私が求めているのは、確かに愛されていたということだけだと思います。
昔の写真を引っ張り出してきたり、、、
でも、思い出せば思い出すほど父の愛情を感じ、それに引き換え私は父に何かしてあげられただろうかと、後悔ばかりがつのります。
あびさんのおっしゃるように、幸せに生きていくことしか、父に恩返しできないなあと最近思います。
マンドリン、早く直したいんですがお金がなくて、、、(泣)
パパごめん。
Posted by たんたん at 2008年02月22日 09:04
とっても感動して涙が出てきました・・・(仕事中なのに~うぅっ)
うちはまだどちらも健在なので感謝しております。
私も父との思い出を振り返ってみました。
つい最近になって知った事もたくさんあります。
親から自立する事に精一杯で仕事で認められるために一生懸命でよく考えてみたら親子で大人になってから過ごす時間なんてなかったなぁなんて思います。
たんたんさんのお父様っておしゃれな方だったんですね。
マンドリンってなかなか一般の方が触れる機会ってないですもんね。
すばらしいお父さんのことを知ることができてよかったです。ありがとうございます。
うちはまだどちらも健在なので感謝しております。
私も父との思い出を振り返ってみました。
つい最近になって知った事もたくさんあります。
親から自立する事に精一杯で仕事で認められるために一生懸命でよく考えてみたら親子で大人になってから過ごす時間なんてなかったなぁなんて思います。
たんたんさんのお父様っておしゃれな方だったんですね。
マンドリンってなかなか一般の方が触れる機会ってないですもんね。
すばらしいお父さんのことを知ることができてよかったです。ありがとうございます。
Posted by はるどんママ at 2008年03月03日 13:10
****はるどんママさん****
いえいえ、きっとはるどんじいちゃんにも、とっても素敵なところや、
思い出がいっぱいあるはずです。
それを、亡くなってから噛み締めないで、この記事をきっかけに
今、思い出して親孝行してくださいね。
でも、元気に働けて、温かな家庭を築いているのが一番の
親孝行でしょうね。
いえいえ、きっとはるどんじいちゃんにも、とっても素敵なところや、
思い出がいっぱいあるはずです。
それを、亡くなってから噛み締めないで、この記事をきっかけに
今、思い出して親孝行してくださいね。
でも、元気に働けて、温かな家庭を築いているのが一番の
親孝行でしょうね。
Posted by たんたん at 2008年03月03日 16:00