クリスマスに思うこと

たんたん

2009年12月24日 23:50



22日は、ジャミラ君の通う保育園の生誕礼拝の日でした。

この日は、年長児を中心にして園児全員で
生誕劇を行います。

そして今年の配役、、、
何とジャミラ君は、イエス様の父親、ヨセフさんでした。

かなり緊張しながらも、身重のマリア様を気遣いながらの
演技、なかなか良かったです。

毎年、マリア様役のアリアを聴くと、泣けてしまいます。
子どもたちの一生懸命さと、マリア様のただ一筋に
神様を信じて、受胎告知を受ける場面に感動します。




ホールで30分以上にわたる、熱演が披露されました。

とても神聖な礼拝にあたるので、撮影は禁止です。




劇中、博士の捧げものと一緒に、献金も捧げます。

子どもたちが飾り付けして、自分のお小遣いを
入れた、牛乳パックの献金箱。

園児全員のものが揃っています。

ジャミラ君には、元々「いくらでもいいんだよ」と話しておきました。

園でちゃんと、悲しみと絶望の中にある世界の人々の
話を勉強してきています。

彼は、迷わず1000円入れていました。
お兄ちゃんが年長さんの時は、貯金箱にある
大部分のお金を入れていました。
確か、3500円は入れていたはずです。

それを見て、私はとってもうれしかったです。
金額ではないんだけど、自分が持っているお金を
困っている人に差し出すのを、惜しいと思わないで
いてくれる
のがうれしかったです。


私は、父兄代表でお祈りをすることになっていました。

ずっとお祈りの言葉を考えて悩んでいました。

当日の朝、ふっと昔紫苑さんが言っていたお祈りの
フレーズを思い出しました。
私は無宗教ですが、紫苑さんはクリスチャンです。


その言葉をつけたして、震える声でお祈りを捧げました。

天の神様

今日は皆でクリスマスをお祝いすることができました。
ありがとうございます。

こうして健康で、家族や仲間とともにあることに感謝し、
一方で今、苦しみや悲しみの中にある、まだ見ぬ
世界の友へ、この喜びとぬくもりが届きますよう、
献金をお捧げいたします。

どうか、神様が思う通りにお使いください。




最後の一節が、紫苑さんからの受け売りです。

前にも書きましたが、募金を搾取している輩がいたり、
途中で消えてなくなったりと、追跡できていないことも
あるはずだから、募金はしないと言う方があります。

確かにそうかもしれない、事実その方が多いかもしれない。

だけど、もし神様と言う存在があるのなら
きっと自然と正しい所に、正しいことに使われる

思えるのです。

こうして多くの方に出会い、助けられ、守られてきた
私と皆さんとの御縁は、やはり偶然ではなく、
何かわからないけど、導かれた出会いだと思っています。


それを体験した今だからこそ、この一節が
信じられるようになりました。


劇が終わると、牧師先生のお話があります。

今年のお話は短かったのですが、昨年の話は
とても重くて、涙しました。

それをずっと今まで考えていて、今も悩んでいます。



アーミッシュの赦し

「撃つのなら、年長の私から撃ってください」

そう言って、次々に打たれ亡くなった少女たち。

自分の子どもを、容赦なく殺した男を赦し、
その男の葬儀へすぐに出かけていき、
家族や子供たちにお悔やみを述べることが
果たして私にはできるだろうか、、、


この答えは、一生出ないと思うけど、悩むに
値する問題だと思っています。




そのあとは、ジャミラ君達年長さんの演奏会。
(ここからは撮影オッケー)

サンタさんから日本語の手紙
(しかも、縦書き)が届き、倉庫から
隠されたプレゼントが出されると、悲鳴が上がっていました。

泣いたり笑ったり、考えたり、、、
9回目の生誕劇。
これで見納めなんだなと、ちょっと寂しくなりました。

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